ロスチャイルド銀行2

            画像: Sacred Monkey Forest, Ubud

 つまり、事業計算の領域では、これといって頼れる正規の規準は失われ、(というより、もともと「無い」のだが)、全員が途方に暮れていたのが、1980-90年代の特徴であった。社会には社会の規準を可視化する法律が存在し、どのような行為が正しく、どのような行為が不正であるかは判然とするのであるが、事業計算と未来予測については、正邪の規準はまったくなく、邪悪を規制する罰則もないのである。つまり、やったもの勝ちの世界、人をだまして多額の初期費用を押し付けたものの勝ち、信用して貧乏くじを引いたものの負け、などとという「やくざの世界」が実業の世界に入り込んでいたのである。

           画像: インドネシア、スハルト大統領の家族写真(1967年頃撮影)。

 

 前列:Hutomo Mandala Putra (1964/8/23)(三男トミー)、President Suharto、Siti Hutami Endang

     Adiningsih(1964/8/23)、Siti Hartinah(スハルト夫人)、Siti Hediati Hariyadi(1959/4/14)


 後列:Bambang Trihatmodjo (1953/7/23)(次男バンバン)、Siti Hardiyanti Hastuti(1949/1/23)、

          Sigit Harjojudanto(1951/5/1)

 実際に商事会社大手であるMBは「事業ほしさ」に、インドネシアのスハルト大統領の息子たち(次男バンバンとか三男トミー)が経営する事業会社にセルフ・コミットした。大統領がすべての事業の権益を息子の会社に与えていたのだから、インドネシアで事業をやりたいものは息子たちの会社へ行っておねだりする以外に方法はなかったのである。MB社は、なんでもよいから事業に乗せてくれと大統領に頼んだ。その結果、大統領の息子たちは石油化学のプロジェクトをでっちあげ、プラント・コストを倍額に評価して売りつけた。プラント・コストの増額分は大統領の政治資金(あるいは私財の蓄積)に化けた。この場合の貧乏くじは、石油化学事業を言い値で買った商社MBであった。インドネシアは極度に歪曲された事業計算書を提示し、MBはそれを頭から信用した。MB社の社長には事業計算の基礎概念が欠落していた、と思われる。「インドネシアの大統領の会社だからまず間違いない」が対外的なエクスキューズになった。こうしてMB社は未来に巨額の損失を計上することとなった。


 このように海外事業には正邪の判断基準はないのである。貧乏くじを引いたものが負けるのである。

                                 画像: 政治の世界でも?

                                                        画像:やくざ世界のイメージ

 そういう困惑の時代に私達の前に現れたのが、サバ・ガス・インダストリー(Sabah Gas Industries)であった。サバ・ガス・インダストリーは数年前からマレーシアのサバ州でメタノールを生産しており、日本のメタノール業界はそのメタノールを、個別交渉ではなく、業界交渉によって輸入していた。メタノール国内メーカーが共同でメタノールを輸入し、商社は輸入実務に携わっていた。

 

 

 1984年に操業を始めたマレーシア・ラブアン島のS.G.I.(Sabah Gas Industries)は、ボルネオ島北端の海底ガスを採集して、メタノール、スポンジ・アイアン、ガス発電を行っていたのだが、詳しく調べると、エンジニアリング会社は西独の(後進国の資源開発を食い物にする)悪名高きルルギ(Lurgi)であり、もちろんサバ州の酋長が要求した多額の政治資金を提供するお手伝いをしたのもルルギで、生産開始後は非常な黒字経営となるはずであった事業計画書は案の定反古となり、キャッシュ・フローが回らず、大赤字となった。政治資金を作った後の政治家にとっては、この事業はただの抜け殻であるから、開業後は早速に会社を売り飛ばしにかかった。

                           画像:Google Map, 2017

 会社設立時に連邦法を無視してサバ州が外国銀行から直接長期借入を行っていたこと、借金の大半が西独マルク建てであって、マルク高に悩まされていたことからSGIを一旦破算させることが正解であったのだが、しかし、SGIを潰せば、連邦のエネルギー政策が破綻することを考えて、1986年頃、マレーシア連邦政府はSGIの買収を考え始めた。


 このとき、マレーシアの連邦大蔵大臣が先頭に立ち、まず100万ドルを使ってロンドンのロスチャイルド銀行にメタノールに関するフィージビリティ―・スタディーを依頼した。マレーシアはイギリス連邦の一員(1957年加盟)であって英国との歴史的な繋がりが深かったから、このように超一流のコンサルタントを採用することが可能になったのだろう、と思う。その当時、100万ドルなどという調査費は私たちの度胆を抜くような高額であった。日本人は18世紀後半以来のロスチャイルド家の偉業に関する知識が不足しているから、ただなんとなく聞き過ごすのであるが、英国系の国にあってはロスチャイルド銀行というのは権威の象徴であり、イングランド銀行よりも信頼のおける、まさしく銀行中の銀行であった。

                画像:GoogleMap,2017 ロスチャイルド銀行は、ロンドン金融街のど真ん中にある。

 前の大蔵大臣が再生SGIの総裁となり、SGIの再編成のための方策をもとめて日本に来られたのが1990年頃のことであったろう。このSGIを健全企業体に回復させるためには、前Sabah州長官が賄賂として抜き取った政治資金相当額をbad accountとみなして資本欠損として減資し、同額を資本として再注入する必要があるのであるが、日本勢は巨額の資金注入をいやがり、交渉は成立しなかった。しかし、SGI総裁は検討材料としてRothschild銀行の作成したフィージビリティ―・スタディーを日本側に置いていったのである。


 このフィージビリティ―・スタディー(英語)を私が精査したのであるが、これがじつになにものにも換え難い傑作であった。


 前半の天然ガス資源量調査は資源開発を行っているShellの資料を転用したものであったから、それは措くとして、後半のメタノール生産の経済計算と予測が実に見事で、Feasibility Studyの典型といってもよい傑作であった。つまり、エンジニアリング会社の使用する底上げ計算などの虚飾を一切含まない「実業家の行う経済計算」の典型であったのである。

 

 


 私は、このRothschild銀行の経済計算手法に驚嘆し、二度も三度もこの真偽をたしかめたが、その正当性は完璧であった。そこで私は、このFeasibility Studyを私の教科書とすることに決めた。


 しかし私は工学者であり、経済学者ではなかったから、会計実務を知らない。だから、この教科書と現実を一致させるために、私は急いで会計の勉強をした。公認会計士試験のテキストと問題集を取り寄せ、約一年余公認会計士試験の勉強をした。この勉強は骨が折れた。しかし、世間の経済活動をあまねく記録する簿記の精神と、仕訳の実際につき完全に理解することができた。

                        画像

 こうして簿記の仕訳を完全に理解した上で、Rothschild社の作成したFeasibility Studyを調べたら、Rothschild社の健全な精神が100%理解できた。(ロスチャイルド銀行の作成した表計算のすべての項目を精査して、計算式が仕訳原理に合致しているかどうか調べたのである)。さすがにRothschild銀行というのは「銀行中の銀行」と呼ばれることはある、と確信した。


 ここまできたらあとは簡単であった。私は単純にRothschild社計算書の表計算各項目を実数で置き換えるだけでよかった。Rothschild社の計算書には一点の計算違いもなかった。

                                               画像: ロスチャイルド銀行の紋章