2024/02/11
美術館内の光景。
1870年の普仏戦争を避けてロンドンにわたり、画商デュラン=リュエルと知り合った(ルーヴシエンヌ、普仏戦争(1869年-1872年))。
1850年頃よりプロシアに産業革命が生じ、1862年プロシアの首相としてビスマルクが登場し、経済的な圧倒的優位性の下に、普仏戦争が生じました。パリが包囲されて、人々は風船に乗ってパリから脱出したのです。IndustrialRevolution (lcv.ne.jp)
赤い点線で囲まれた地域がChatou。
普仏戦争が終わって、パリはベル・エポックと呼ばれるパリの黄金時代に入る。エッフェル塔が建てられた。パリは芸術の中心としての名声を高め、印象派の芸術家はパリの新しい景観に着想を得た。第一次世界大戦前の優雅な時代である。(引用:パリの歴史 - Wikipedia)
ピカソ20歳、1901年、雑誌「若い芸術」の編集に関わる。6月、パリで個展を開く。「青の時代」の始まり。(引用:パブロ・ピカソ - Wikipedia)
この作品はSotherby’sに出たことがあります。
現在の所有者fridart foundationとは一体何者???
コート―ルド・ギャラリーを見終えた後、私たちは次の目的地ナショナル・ギャラリーに向かって出発しました。
帰り道はザ・サボイの前を通り、坂道を下って、チャリング・クロスからトラファルガー広場に抜けました。
和佳子さんのほうが私よりもロンドンをよく知っておられて、あれが、三越のライオンだと教えてくださいました。
ジョヴァンニ・ベッリーニ - Wikipedia 牧草地の聖母, 1495-1500
戦国時代、日本で雪舟が筆を振るっていた頃。コロンブスがアメリカ大陸を発見した頃。
残念なことに、ナショナルギャラリーは写真撮影が禁止されていました。だから、撮影したのは上の一枚だけでした。
この日はこれで終了です。
追記:日記は次。
2012/05/18(金)
朝9時半出発。タクシーでコートールズ美術館へ。サマーセット・ハウスといわなければタクシーの運ちゃんはわからなかった。
11時半終了。町をぶらぶら歩いてナショナル・ギャラリーへ。2時半に終了。それから三越まで歩いて地下でお寿司のお弁当を食べる。
リージェントストリートを歩いて、おもちゃ屋とリヴァティでお土産の買い物をする。
くたくたに疲れてホテルに帰る。4時半頃だったかな。
近所のコンビニでビールを買い、それの一本を飲み、爆睡。