2019/01/27
写真:鵜戸神宮境内図
さあ、今回の観光バス旅行の最後、鵜戸神宮にきました。
観光バスは上の境内図の中央部鵜戸神宮から階段を上った岡の反対側にあるのですが、事前にタクシー利用かどうかを聞かれていたので、私は迷わずにタクシーを注文しておきました。何百段もの階段を下りてまた登るというのは私の脚では無理だからです。
タクシーは観光バス駐車場から出発して海岸沿いの道をまわり、第一駐車場まで運んでくれました。しばらくして観光バスの一行と落ち合い、鵜戸神宮までの境内を歩きました。
写真:社務所を抜けて楼門に出る。
写真:右下は絶壁です。岩礁で釣り人が何人か魚釣りをしていますが、この恐ろし気な岩礁にどうやって渡ったのでしょう。
写真:左側の階段を降りると、いよいよ本殿です。本殿は左の鳥居の左奥にあるのです。
写真:鵜戸神宮本殿
よくこんな岩穴をみつけたものですね。「何時頃出来たものだろう」と聞きましたら、ガイドさんがいわく、「神武天皇の頃ですよ」と私が想像もつかなかった答えが返ってきました。紀元前700年頃なのかもしれません。神武天皇というのは現在の皇室の初代ですから、どう考えたらいいのでしょう。宮崎県の人は神話の時代を身内として生きているのですね。私たちとは時間の尺度がちがいます。吃驚しました。
写真:主祭神は鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
(説明)
『日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を草(かや)としてふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあわせず)」と名付けたという。なお、鵜戸神宮(宮崎県日南市)はこの時の産屋の跡と伝えられる。
注: 神武天皇の出生は『日本書紀』の記載によれば、紀元前711年。
写真:注連縄で囲まれた「霊石亀石」(赤矢印)に左手で運玉を投げ入れる。私は5個のうち一つが入りました。
運玉が亀石に入ったので、きっと将来良いことがあるでしょう。
こうして私は宮崎に帰ってきました。永い一日でした。