2019/01/28
画像:旭化成延岡工場
ちょっと専門的になりますが、旭化成のベンベルグは、コートールズのCS₂法とはまったく異なっており、私には面白くてたまらないのであります。
まずセルロースを溶かす溶剤が錯化合物であるところが面白い。
1857年にチューリッヒの化学教授マチアス・エドワルド・シユバイツアー(1818-1860)という人がセルロースがアンモニア水に溶かした水酸化銅(シュバイツアー試薬)に溶けることを発見したのですが、いまどきこんな中世風の試薬を用いるところが風変りで、最近の化学者(私が自分をそう呼べるかは疑問ですが)には理解しがたいほど古風なテクニックなのです。
画像: 箒に乗った魔女
まあ中世の「箒に乗った魔女」が現代の化学に出現した、と言ってもいいくらい驚異的なのです。こんな「箒に乗った魔女」を大規模な繊維産業に使っているところは現在の世界にはありません。これが汎世界的視野から見たベンベルグの国宝的な存在価値なのです。
それにこの「魔女の箒」を使うと、絹に似た性質の人絹糸が作れることを1899年に発見したのが、アーヘンに本社を置くVereinigte Glanzstoff-Fabriken AG(合同人絹会社、略称:VGF)なのですが、この発見はコートールズ的発想で面白くも何ともありません。
ちなみにセルローズを「箒に乗った魔女」で溶解すると、次のような奇妙な立体構造図になりそうです。
画像:Cupurous Ammoniaの想定図
写真:綿実と表面に生える短繊維リンター(綿実は直径3mm程度)
とても面白いのが、J.P.Bemberg社のエドモンド・ティーレ(Edmond Thiele)が1901年に開発した銅アンモニア法人絹の延伸紡績法で、なんとEdmond Thieleは、(表現は悪いが)「豚に食わせる以外に価値がなかった」綿実に付着する短繊維リンターを人絹糸の原料として使用したのです。つまり、原料はリンターでその価値は「ただ」同様。ほかに利用する当てがまったくないセルロースを限定的に原料に選んだのです。ほかの原料、たとえばパルプを念頭には置いていません。
写真:岡村製油のリンター・マシン
日本で現在綿実油を作っているのは、大阪の岡村製油ですから、旭化成は岡村から圧搾前の綿実を借りてきて、リンターを溶解し、残った綿実を岡村に返しているのです。(あるいは旭化成が岡村からリンターを購入しているのかもしれません)。コートールズがビスコース法で利用した原料はパルプですが、これではリグニンの除去などに費用がかさんで高い価格になり、間尺に合いません。これが理由でコートールズのビスコース法は結局敗退しました。
1920年代にこの工場の従業員は5,700人だったという。当時としては巨大な工場です。
場所はBemberg Str.ではなく、ヴッパー川沿いのBockⅿühleとLenneper Straßeの間で、Öhde, Heckinghausenという場所。近所には多数の紐屋、塗料屋、染色工場、組紐屋などの繊維産業下請け工場が建ち並んでいた。事実上この工場が人絹Bemberg社の発祥の地なのです。
画像:GoogleMap, 2019 赤矢印が写真のベンベルグ工場の所在地だったところ