2019/03/09
画像:大分駅前4番バス乗り場
長湯温泉についていろいろ調べていて、豊肥本線で豊後竹田経由で行く方法のほかに、大分駅発のコミュニティー・バスを使う方法があるのを発見しました。このコミュニティーバスを使う方が運賃も安いし、時間も節約できる。
そこで昨日朝9:20発のコミュニティー・バスに乗ってみた。長湯までの乗車時間は1時間45分である。
乗客は私たった一人である。途中大分県立病院でもう一人乗ってこられたが、長湯まで乗られたのはその後で乗られたご婦人を含め僅か3人で、超閑散としたバスであった。どうやら長湯近辺の住民が県立病院に通うために設置された地域住民用の公共福祉バスであるらしい。
画像:コミュニティー・バスの経路の前半
大分駅から西行し、大道バイパスに乗って県立病院に立ち寄ってから210号線に
乗り替え、大龍(おおたつ)で左折し南下する。加藤清正が造った豊後街道は緑点線。
写真:バスの車窓から。豊後国分のあたりから見た景色。
鶴見岳(右)と由布岳(豊後富士)がくっきりと望まれる。両岳とも今朝降った雪が残っていますね。こういう景色を眺めると、別府の裏側にやってきたという実感がします。事実、別府市は、このあたりの大分川から(荘内町)、長大なトンネルで取水して水源としているのです。なお、湯布院温泉は由布岳の左裾の下あたりです。
画像:バス路線の南半分。加藤清正時代の豊後街道は緑点線。
バス路線の南半分は見どころなしで、あっという間に長湯に到着します。ひたすら低い丘陵地帯をひた走るのですが、実はこのルートは豊後街道の中心部分で、肥後(熊本)の殿様は江戸時代にここを参勤交代通路として使っていたのです。江戸時代のハイウエイと言いましょうか、1601年に加藤清正が切り開いた参勤交代用の道路なのです。(あとで述べます緑点線を参照せよ)この道は肥後の熊本から出発し、豊後の鶴崎までを豊後街道と称し、鶴崎からは大阪までは船に乗ったのです。
画像:豪華絢爛な「波奈之丸」、出典:
どうやら御座船(藩主の専用船)を中心に編成された参勤交代の舶団が鶴崎港に入港する様子のようです。この豪華絢爛な「波奈之丸」の模型は熊本城内に展示されています。
このほかにも豊後街道には肥後の殿様細川家の事績が残っています。細川家は参勤交代の際の便宜のため、豊後の国のなかに肥後の国の飛び地を作ったらしいのです。野津原と鶴崎です。
上の記述はGoogleMap,2019に記載されている地図上の豊後街道を調べた結果なのですが、先ほど念のために図書館へ行って調べたら、違っていました。豊後街道は、大分市から現在の442号線で南下して、途中で412号線に乗り換え、412号線でそのままずっと南下して、今市を抜け、神堤を抜け、南原から西行して、久住ロッジで30号線に乗り換えて久住町に南下するのです。(緑点線『豊後街道を行く』松尾卓次著、弦書房、2006) つまり芹川の東側を通るのです。芹川の西側にある長湯温泉は通りません。
画像:GoogleMap,2019 江戸時代の豊後街道の位置を緑点線で示す。阿蘇の外輪山は立野を通らず、
二重峠(ふたえのとうげ)で越していることに注目せよ。
いずれにしても、肥後の細川家は豊後地方でも絶大な影響力をもっていたことだけは断言できます。
ところで「豊後」とはなにを指すのでしょうか。
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もともと豊前と豊後の国があり、1871年(明治4年)8月29日に廃藩置県があって、豊前国(黄色、ぶぜんのくに)が小倉県となり、豊後国(紫色、ぶんごのくに)が大分県となった。
ちなみに、
豊国(とよのくに)は福岡県東部から大分県にまたがる。42代文武天皇の時(西暦700年前後)に豊国は豊前国(ぶぜんのくに)と豊後国(ぶんごのくに)に分けられた。・・・古代史探訪
豊後国風土記は、720年に完成した日本書紀を参考にしながら豊後の国司が地元の伝承を修正して記したと云う。
豊前と豊後の区分けは西暦700年前後から西暦1871年まで延々と続いたのですね。あまりにも長いタイムスパンに吃驚しました。
ちなみに、直入郡の長湯については
天平12年(740年)頃までに成立したとされる『豊後国風土記』において、豊後国の8つの郡のひとつとして直入郡(なおりのこおり)が挙げられている。同書の直入郡の条には、昔、この地に真っ直ぐに伸びた大きな桑の樹があったことから直桑(なおくわ)村といったのが訛ったものであると記されている。
というのが直入郡で、
現在の竹田市の大部分は直入郡に含まれるのだが、
1.竹田町 2.豊岡村 3.岡本村 4.玉来村 5.松本村 6.入田村 7.嫗岳村 8.宮砥村 9.柏原村
10.荻村 11.菅生村 12.宮城村 13.城原村 14.明治村 15.白丹村 16.久住村 17.都野村
18.長湯村 19.阿蘇野村 20.下竹田村(紫:竹田市 桃:由布市)
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これでやっと18番目に長湯の名前がでてきました。上の地図で18番目の村です。
なんという長い説明でしょう。でも、九州ならではの歴史発見ですね。楽しい。