2020/03/20-22
部屋は広いし、部屋のなかに檜造りの露天風呂が設えてある。申し分なしでした。
この旅館は宿泊棟が二階と三階になっており、ロビーと食事棟が別棟で、食事するのはエレベーターで2階の食事室なのですが、私たちの部屋の窓からはもう一階下の部屋で食事されておられる方もお見受けしましたのでさあ、ホテルの構造はどうなっているのでしょう。
でも、まったく雑音のしないホテルで落ち着けました。
食事の席での写真ですが、孫が浴衣の袷を着て威張っているように見えます。実はこのホテルは「子供はお断り」の高級ホテルなのです。予約のときにそこが問題になったのですが、どこかから天の声が聞こえてきて、大人が四人の予約にすれば問題は生じないことに気が付いて決着したという、ルール破りの宿泊だったのです。本人にはこういうことは話してはいないのですが。だから孫タンには食事もたっぷりと摂っていただきました。
3月22日
四日日の晩に住田と云う所へ行って団子を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓がある。
おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染った上へ、赤い縞が流れ出したのでちょっと見ると紅色に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。
注:漱石は「坊ちゃん」のなかでは、「道後の温泉」を「住田の温泉」と表記している。
青空文庫 夏目漱石「坊ちゃん」
温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壷は花崗石を畳み上げて、十五畳敷ぐらいの広さに仕切ってある。大抵は十三四人漬かってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ。おれは人の居ないのを見済(みすま)しては十五畳の湯壷を泳ぎ巡って喜んでいた。
画像:GoogleMap, 2020 道後温泉本館北側。左手にチラと見えるのが「玉の石」
本館は修理中なので、西の正面玄関からは入れず、北側の側面からの入場となりました。
朝の6時前にここへ来たのだが、すでに20人ばかし並んでいた。皆泊まっている宿屋のタオル籠を持っている。私は宿の男から「6時前でもいいから早く行って並びなさい」と言われた。これが正解だった。開門の6時になったときには50人ほどの長い行列ができていた。宿の男が私に神の湯に入る入湯切符を渡してくれていたから、下駄箱の並ぶ入口で財布を取り出す面倒はなかった。
画像:入場切符の上半分とその裏面
画像: 男性の「神の湯」のうち「東浴室」。壁には白鷺が描かれた砥部焼の陶板画。
浴室に入った時点では浴槽の中は無人状態であったものが、十分もしないうちに芋洗い状態になったので私はここで失礼した。入湯者の数は下駄箱の数で制限されるのだが、それでも外には長蛇の列が続いている。
なんというか、私のような温泉好きの者にとっては、夢にまで見た入浴である。この湯壺に漱石も浸かり、湯壺のなかで泳いだのだと実感すると、この浴槽はまさに天国だ。
なんということでしょう。娘夫婦は「朝6時に道後温泉の本館で入浴」などというのは「くだらないこと」と決めつけて、ホテルで寝ています。昔、漱石全集を買って、読みふけったことのある人間でなければ、このような感慨は浮かんでこないのでしょうね。