2020/03/06
さて私は
ホキ石仏第二群
ホキ石仏第一群
山王山石仏
を丹念に見終えて、古園石仏へやってきました。
古園石仏には私が好もしく思っている仏頭があるのです。
臼杵摩崖仏として昔の古園石仏の写真が入口に掲げられています。そうです。私はこの崩落した仏頭が好きなのです。なんというか、この仏頭には人を引き付ける色気があって、この仏頭を見ていると、こころが落ち着くのです。
もちろんいまの古園石仏は完全に修理がおわり、過去の美しい姿を取り戻しています。
現場に残されている修理前の古い写真がこれです。
なんと痛々しいお姿だったこと。
ここまできて私は、心の張りがすっと溶けるのを覚えました。
これでやっと目的とする場所に来たという安堵感があふれてきます。
皆さんもきっと同じように感じられるのでしょう。ここには特別に仏前に焼香壇が設けられ、ろうそくとお線香が30円で売られており、私たちはここで焼香しお祈りをします。これまで続けてきた人生の長旅を休むことのできるベンチも置いてあります。更に願い事を書きこむ机と願い事を書く用紙がそなえつけてあり、用紙を収める祈願箱が本尊大日如来の前に備え付けてあります。
画像:臼杵石仏蓮花
私は結構自我の強い男なのですが、長年気にしていた願い事が二つありまして、ここでそのとき、自然に、お願いごとをする気になりました。どうぞ成仏してくれ、というお願いなのです。そして合掌し、深く深く祈ることができました。
自分の少ない経験からいうと、人間は事態が起きたときにはその意味することが理解できないものなのです。そのとき自分がやっていることに夢中で、自分以外のことには想いが及ばないものなのです。人生の最後になって、それが重く圧し掛かってくるのです。「今になっては遅すぎるけれども、どうぞ堪えてくれ」という矛盾した願いが私の心をぎごちなくさせるのです。
本尊の大日如来などという仏様は私の故郷金沢では決してお目にかかる仏像ではないのですが、わたしは、どういうわけか今日、いじけた心を解いて安らかに仏前でお参りをし、大日如来にお願い事をいたしました。それこそ生まれて初めて心からお願いをし、祈念することができました。
私にとって、最初で最後の巡礼で、生まれて初めての結願です。