善通寺までの車窓

2021/12/12

 兎に角、久しぶりに外に出て、しかも未知の土地をバスで旅行するのだから、面白くってたまらない。車窓の風景がいちいち新鮮だ。

 

 

 八幡浜を出たバスは大洲で高速道路というか、車専用の道路に入った。片側一車線づつの対面二車線だとか、一部に片側二車線ずつの高速道路だとか、いろいろ。しかし、とにかく、片側二車線にする複線工事が進行中で、将来はこの高速道路が鉄道にとって代わるのは歴史の必然だと確信した。いずれはこの松山自動車道の片側二車線の高速道路が大洲-宇和島-宿毛-四万十までをぐるりと一周することになるのだろう。そういう未来の四国が楽しみだ。便利になる日本! 嬉しいねえ。

 

 

 そうなると、阪急交通社は四国西周りの観光バスツアーを開発してくれて、宇和島も四万十も観光バス対象地にしてくれるだろう。とりわけ四万十は自動車を持たない年金生活者にとって、到達不可能な土地であっただけに、別府発の観光地として浮上すれば楽しみだ。長生きしなければね。

 

 

 ここはどこだろう。高速道路に乗ってすぐさまこの写真をとったので、多分大洲だろう。ずっと遠方に特徴のある山がある。

 

 

 国土地理院の地図で調べると、ここらあたりに高い山は壺神山(971m)しかないから、壺神山だろう。昔大洲から松山向けに出た汽車(予讃線)は北に向かって、伊予長浜駅に走り、壺神山を巻いて走ったのだ。いまでも北回り予讃線はあの山の向こう側を走る。私は昨年の322日(娘家族とともに広島・松山旅行(4) - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com))この北回り予讃線に乗りました。

 

画像:国土地理院地図。

 

 次にバスの左方に見えてくるのは、随分遠方ですが松山です。山の上に松山城が見えます。松山は昨年娘家族とともに訪れました。(娘家族とともに広島・松山旅行(3) - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com))道後温泉の宿屋「朧月夜」は娘家族が大いに楽しみました。懐かしいです。

 

 

 バスは八幡浜を出てから一時間半、いよ小松JCTを経て、石鎚山SAに到着しました。トイレ休憩です。

 

 

 高速道は、ここに到着前に小松JCTで今治・小松自動車道へと別れるのですが、不思議なことに、この今治・小松自動車道は瀬戸内海を橋伝いに渡る西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道西瀬戸自動車道 - Wikipedia)と連結していません。今治市内で高速道路は一旦一般道に入るのです。どういう事情で高速道路が分断されているのか知りませんが、残念なことです。これは地政学的な欠点で、たとえば戦争になったときに、為政者はおおいに後悔することになるでしょう。

 

 

画像:国土地理院地図。

 

 これから高速道路は、西条、新居浜などの工業地帯に入ります。

 

 

 画面は西条です。中央やや右に今治造船の赤いクレーン櫓が見えます。発電所、クラレの化学工場、今治造船の工場が軒を並べています。

 

 今治造船は日本の造船量の30%を占めています。世界でも6.6%。(今治造船株式会社 -IMABARI SHIPBUILDING CO.,LTD- (imazo.co.jp)

 

 クラレ沿革 | kurarayは昭和37(1962)、この西条で世界で初めての水溶性樹脂ポバールを生産開始しました。世界的な偉業でした。なんと私が大学に入って二年後のことで、日本の石油化学工業の先端を走っていた工場です。懐かしさに耐えられません。

 

 画面最左端の高い煙突が四国発電で、その右の赤白縞模様の煙突が多分クラレのようです。

 

 

 

 次の地域、新居浜はどうやら私が写真を撮り損ねたようです。西条の次だからとカメラを構えていたのですが、シャッターチャンスに恵まれませんでした。

 

 新居浜は、私自身は非常に関係があったにも関わらず、訪問したことがありません。

 

 

 国土地理院の地図ではこうなっています。

 

 

 住友化学新居浜の主力三工場です。愛媛、大江、菊本。

 

画像:住友化学新居浜 上空から俯瞰するとこうなっています。

 

 日本の石油化学工業の礎は実にこの住友化学新居浜に築かれました。

 

・昭和3011ICI()から高圧ポリエチレン技術導入。長谷川周長長谷川周重 - Wikipedia社長の業績。

 

・昭和323月エチレン・高圧ポリエチレン工場完成。同5月大江、高圧ポリエチレン製造開始。引用:住友化学工業(株)『住友化学工業株式会社史』(1981.10) | 渋沢社史データベース (shibusawa.or.jp)

 

 これが事実上の日本の石油化学産業の開始だったのです。日本の石油化学産業はこれ以降急速に日本の産業界を席捲しました。雨後の竹の子のように石油化学会社が設立され、技術者の必要性もあり、大学の工学部化学科は多科目に分科して急成長しました。

 

 私が京都大学に入学したのが、昭和34年ですから、私の産業界での産湯は石油化学だったといえます。

 

 当時の京都大学の工業化学科は東京大学の応用化学科の技術的水準をはるかに越えていたのが実態で(その当時、理研は京都大学の中に設置されていた)、しかもその工業化学科を一番の成績で入学したのですから、私は順当にいけば、工業化学科の教授になるか、この住友化学の新居浜工場で働くか、二つに一つの状態だったのですよ。工業化学科で成績一番の学生は、教授にならなければ、必ず、住友化学勤務で、しかも新居浜勤めという決まりがあったのです。

 

 だから、この新居浜には一方ならぬ思い入れがあるのです。

 

 ところが、私は坐禅4 - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)で書きましたように、入学後すぐさま、哲学上の迷妄状態に陥り、一年間休学することとなりました。これで教授職も、新居浜勤めもおじゃんになりました。

 

 息子が念願の京都大学工学部工業化学科に入学しましたぞ、と昔からの知り合いの住友化学副社長児玉信次郎氏のお宅を訪問して、ご挨拶までしたのに、まさかの息子の転び方に父親はあっけにとられて、言葉も出ませんでした。

 

 死後、あの世で再会することがあったら、父親には「すみません、あなたの願いを無駄にしてしまって」と謝ることにしましょう。

 

 

 

 

 

 さて、次は川之江です。

 

画像:左の上部の黒い塔が大王製紙三島工場の煙突。その右の白いタワーが大王製紙三島新工場の高層集合煙突 エリエールタワー。川之江に在る。

 

大王製紙三島工場にある高層集合煙突の一つで、19856月の完成当時、コンクリート製タワーとしては東洋一の高さ(207m)、現在でも日本7位タイ(Wikipedia参照)の高さとなっている。煙突内部にエレベーターがあり、地上180mの展望台まで上がることが出来る。事前に予約しておけば、団体に限り見学も可能。(引用:大王製紙高層集合煙突 エリエールタワー - 2個のTips (foursquare.com)

 

 

 エリエールとは大王製紙の紙製品の商標。アテントは大王製紙のエリエールを使用した介護製品。大人のおむつライフリーもそう。

 

画像:お金と手錠との相互背反的(依存的?)なるイメージ

 

 お金が儲かりすぎて、大王製紙事件が起きたことも思い起こそう。

 

大王製紙の創業家経営者である井川意高が、個人的なカジノの賭け金に充てることを目的に、複数の子会社から20104月から20119月までの総額で100億円を超える金銭(正確には106億円[4])を不正に引き出していた事件で、経営者辞任から刑事事件に発展した。大王製紙事件 - Wikipedia

 

 お金がなければ困るけれども、お金があっても困った事態が発生するものですね。注意しましょう。

 

 

 こういうことを考えながら、長い長いトンネルを潜り抜けた思いで、琴平町に到着しました。

 

 では皆さま、御機嫌よう。