金刀比羅宮

2021/12/21

 この旅行を決定したのは、11月初め頃のことであった。毎日別府の街の中を散歩するのにも飽きて、どこか遊びにいきたいなあ、と考えて、価格のあまり高いのは嫌だし、かといってこの前の京都のように行き帰りが船というのも疲れるので、長旅は老人には体の負担がかかりすぎることも考えあわせ、それで結局、阪急交通社の”GoGo土佐へという企画に乗ることにしたのだ。

 

 これはよい決断だった。妻が“不治の病”に倒れた今となっては、他の家族を引き連れての長旅は、「妻の病にかかわらず、浮かれ歩く馬鹿者」との汚名を着せかねられず、実際に、考えることの半分は妻の病状のことばかりの有様だから、外の世界を見て歩くことは難しくなる。

 

 今朝(1221)の散歩は観海寺から出発して朝見神社に至る4時間のコースだったが、結局最後は八幡朝見神社に立ち寄って、深く深く願い事をして締めくくりをすることになった。旅は一見良いことは何もない時に実行すべきである。悪いことが一つでも始まれば、旅は楽しめない。

 

 

 来春に奈良と京都を回る孫の(小学校)卒業お祝い旅行は、妻が病に罹った以上取りやめにすべきである、と考えている。奈良のふふも、京都の瓢亭とWestinみやこも、せっかく難しい予約をとったにかかわらず、断念しなければならないだろう。残念だが仕方がない。

 

 画像:1993年(平成5年)公開「寅次郎の縁談」から。香川県 琴平|松竹映画『男はつらいよ』公式サイト| 松竹株式会社 (cinemaclassics.jp) 女優は松坂恵子。

 

 場所は168段目の急階段付近と思われる。この時代には篭があった。が、篭は20201月に廃止となった。関連記事は次。 こんぴら参りの石段かご、惜しまれて幕 担ぎ手高齢化で:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

 

 私たちが期待するのは、昆布や鰊粕を積んだ北前船が北海道から帰港する途次、多度津港に寄港した時の、船乗りたちが寄り集う琴平花街の宴会である。宴会で歌われる座敷歌「金毘羅船々」の華やかさである。

 

画像:金毘羅船々 (こんぴらふねふね) - YouTube

こんぴらふねふね【金毘羅船船】 の解説

香川県の民謡。仲多度郡琴平町を中心に歌われた座敷歌。もと金刀比羅宮(ことひらぐう)参詣の際の道中歌とも、また元禄(16881704)ころに金毘羅船の発着港大坂で歌いだされたともいわれる。

引用:金毘羅船船(こんぴらふねふね)の意味 - goo国語辞書

 

 この華やかさが今の金刀比羅には失われている。「金」がなくなったのだ。北前船がなくなると同時に、金刀比羅から花街が消えた。船金庫から持ち出す札束がなくなると同時に、座敷歌「金毘羅船々」は歌われなくなり、「金毘羅船々」は京都の祇園か東京の夜の花街での専売になった。

 

 琴平の街で、それらしき雰囲気を求めると、参拝本通りの敷島館になろうが、この豪壮な屋敷は中身がドーミーインにすり替わっている。ただの近代的宿屋になっちゃった。

 

画像:GoogleMap,2021 敷島館

 

 あの時代に琴平にはうきうき感があった。私たちが「こんぴらふねふね」を聞くと感じられるあの「うきうき感」である。どういうのかな。聞くとうっとりしてくるあの「うきうき感」である。別の表現をすると、終戦後の「東京ブギウギ」で感じられる身体が揺れてくるboogie-woogie感覚である。

 

 これが現在の金刀比羅にはなくなっている。町は部分的に古色があるが、boogie-woogieを聞くと感じられる「金があって」、全員が「浮かれている」感覚が失せている。

 

 こんな筈ではなかったという後悔感がまず襲ってくる。

 

 

 私たちがまず訪れたのは「にしきや」という名の団体旅行客向けの食堂であるが、見て御覧なさいよ。この昼食。

 

 

 迅速に運ばれてくる冷え切った昼食。暖かいうどんがあとからきますよ、と仲居が大声で叫ぶのだが、いけないねえ。

 

 「香川県は美味しいうどんで有名なのに、こんなにまずい饂飩なのかい」とボヤいたら、バス仲間の一人が言う。

 

 「大人数のうどんを一挙に造るとこうなるのよ。一食一食精魂込めて作らなきゃ美味しいうどんにはならないよ。美味しい饂飩が食べたかったら、うどんタクシーというのがあるから、それに乗って田舎を回ればよい。」と。

 

美味しい食事の飽食の時代にこんなセリフを聞かされて、貧乏人は情けなくなりましたよ。私は真実貧乏人なのに、表だって貧乏人扱いされると腹が立つ人種なのです。実は。

  

 

 でもね、ものは考えようです。私は前にもお話しましたように、昭和27年から昭和33年まで禅坊主によって育てられたのです。禅坊主には「ケチ」とか「出し惜しみ」とかいう観念がそもそも欠如しているのです。はじめっから何も無いのです。

 

 学生時代、リュックを担いで三陸地方を回り、一回りして山田線を汽車に乗って、上盛岡駅で下車をして、さて、どこか泊めてくれるところはないかいな、と宿を探して盛岡の町を徘徊したら、見事に立派なお寺を見つけました。瑞鳩峰山(ずいきゅうほうざん)報恩寺報恩寺 (盛岡市) - Wikipediaという曹洞宗のお寺だった。玄関脇の庫裏から品格のあるお坊さんが一人出てきて、私の姿を見て、「上がれ」といいました。

 

 私は上がらせてもらって、その庫裏でお坊さんと一緒に寝たのだが、翌朝が凄かった。寺の掃除をして、坐禅を組み、読経をさせられ、一段落ついたところで、食事になったのだが、ヒジキを一切れ残したら、激しく叱責された。それ以来私は、「出された食事は全部食う」癖がついた。文句は言わないのだ。「無」なのだ。

 

 最近私は齢をとった所為か弛んでいる。