金刀比羅宮2

2021/12/12

 

 この旅行を申し込んだ際、ひどく悩んだのが、体力的限界である。

 

 なにしろこの金刀比羅宮は、階段が785段もある。81歳の老人が登り切れるか、という問題である。

 

 国土地理院の地図で調べると、金刀比羅宮本殿の標高は236mで、階段一段目の標高は73m。標高差が163mである。ここに階段が785段刻まれているわけである。

 

 こういうこともあろうかと思い、最近は毎日の散歩の内容を拡大し、観海寺への上り坂を加え、標高差を140mとし、一日おきに140mの小山を登っては降りる訓練を繰り返した。

 

 これが功を奏し、団体一行にはやや遅れるものの、他の客が説明を受けている間に、追いついて、なんなく785段を、息を切らすこともなく登り切った。ヤッター。

 

 

 

 この785段の解説書として特に優秀なのは「こんぴらさん」の本当の魅力は、長い長い石段を登らないと分からない│観光・旅行ガイド - ぐるたび (gnavi.co.jp)というホームページである。だから、解説はそちらに任せて、私の撮った写真をいくつかご紹介する。

 

 

階段前

 

 

 古い虎屋旅館がうどん屋として残っている。この建物は地震耐久工事をしておく必要がありそう。

 

 

 虎屋が貸し出す竹杖です。私は「にしきや」で一本借りてきました。ついでに言いますが、「にしきや」は琴平町では有名な老舗「こんぴらしょうゆ豆本舗」の経営なのです。

 

 

 さあ、いよいよ登り始めます。

 

 

 明治元年、神仏混淆であった「象頭山金毘羅大権現」を「琴平山金刀比羅宮」と改称させた琴陵宥常の像、が右側にあった。

 

 

 大門前の私たちグループの一行。

 

 

 宝物館がありましたが、中には入らず、

 

 

 こんぴら狗(いぬ)のところで、神馬とプロペラをちらと見て、

 

 

 金毘羅宮表書院も素通りして、

 

 

 折からの紅葉をちらと眺め、

 

 

 案内人から金毘羅宮の由緒の解説を受け、

 

 

 ひたすら黙々と階段を登る。

 

 

 火雷社でわけのわからないままお辞儀をして、

 

 

 ついに到着したのが、森の石松が本殿と間違えたという旭社で、さらに右方向に進み

 

 

 最後の急登133段。これを登り切って

 

 

 著しい達成感と解放感がある。60年前の感情とかわらない。この解放感が人を引き付けるのかも。

 

 

 これが本殿。

 

 

 展望台から眺める讃岐平野。中央やや左手に讃岐富士飯野山 - Wikipedia、讃岐富士の左裾に瀬戸大橋が位置するのだが、見えない。

 

 

 記念にバスガイドさんにお願いして、記念写真を一枚。まずはめでたしめでたし。