大宰府

2020/11/26

 暇なので久しぶりに旅にでることにした。クラブツーリズムで「筑前の小京都秋月」と「藤江氏魚楽園」という紅葉探索ツアーがあったので、これに乗ることにした。

 

 福岡県で紅葉と言えば、

 

1.       竈門(かまど)神社

2.       秋月

3.       藤江氏魚楽園

 

が名所であるというから、ツアーの前日に竈門神社を見ておけば、福岡県内の紅葉名所をすべて網羅できる、と考えたのだ。

 

 朝8:00北浜発の亀の井バス高速博多行に乗って、博多到着が11時頃であったが、この日の目的地を大宰府の竈門神社の紅葉にしていたので、天神で下車。これが10:40頃。都合よく大宰府行急行10:48が待ち構えており、これに乗ったら大宰府駅に11:16に到着した。

 

 コミュニティバス内山行に乗り換え、竈門神社には11:50頃に到着した。すべてがとんとん拍子に進み、ご機嫌だった。

 

 

 竈門とは「かまど」と読む。宝満宮竈門神社 (kamadojinja.or.jp) 

 

天智天皇の御代、九州一円を統治する大宰府政庁が置かれた際、鬼門にあたる竈門山(宝満山)では大宰府また国家鎮護のための祭祀がはじまりました。

 

斉明天皇崩御の翌年(662)が天智天皇元年に相当する。天智天皇は中臣鎌足と共に大化の改新を行った事で知られる。

 

 なんと大化の改新の時代(「日本」という国号と「天皇」という称号の使用が始まった時代)に創設された鬼門除けの、いわば京都に対する比叡山のようなステイタスをもった別格の(破格の)神社である。

 

 別府にも竈門神社はあって、

 

仁徳天皇(在位312399年)御宇のとき曰く、日本武尊および神功皇后(200年頃説)が西征のとき豊後州速見郡竈門荘亀山に行宮(天皇行幸の仮宮)を造る。

由緒‐八幡竈門神社 (sub.jp)

 

 この八幡竈門神社は宝満宮竈門神社と名前は共通だが、前者の「竈門」は荘園の名前、後者は山の名前によったもので、いわば偶然の関係らしい。それにしても、京都の諸神社など足元にも及ばぬ破格の古さですね。

 

 

 さて、その宝満宮竈門神社だが、残念紅葉には時期が過ぎていた。紅葉の最盛期は11月の20日頃だったらしい。

 

 

 お賽銭を百円差し上げて私の今後の武運長久を祈ってから、コミュニティバスで山を下り、まだ拝観したことのない観世音寺に向かった。

 

画像:竈門神社境内でみかけた素晴らしい美人の後ろ姿。

 

私は内山でコミュニティバスを拾い、観世音寺を訪ねた。

 

 

 説明中、朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)と書かれているのは、飛鳥時代に斉明天皇が営んだ宮殿で、現在の朝倉市近辺に在ったらしい。

 

 

戒壇だが、天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏まれた鑑真大和上は、天平勝宝51226日(754123日)大宰府に到着。鑑真は大宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行った。(これが日本で最初の授戒。注:仏教では戒律を授からないと仏師の資格がえられない。)

 

写真:現在の戒壇院。観世音寺に隣接している。現在は臨済宗の禅寺となっている。

 

 観世音寺について印象的なのは、宝蔵である。

 

 

 宝蔵のなかの仏像と解説については大宰府  観世音寺  宝蔵のみ仏たち – 黒川孝雄の美 (franchise-ken.co.jp)を見ていただくほうがよかろう。

 

 私が注目したのは

 

 

1.       梵鐘

 

 

この鐘が観世音寺では最も古い遺物であり、日本でおそらく最古の鐘であり、観世音寺にある唯一の国宝である。

 

2.       碾磑(てんがい、と読む)

 

 

この碾磑は観世音寺創設のとき、神社仏閣に塗る朱色のベンガラを製造した碾き臼であろう、と考えられている。

 

 

 都府楼跡については、体力が限界に近づいたので、次の機会に譲ることとし、都府楼南という西鉄の駅から天神経由で博多駅に帰ってきました。

 

 博多駅の地下の飲食店街(一番街と言ったかな)の回転すし屋でとても美味しい寿司を頂き、オリエンタルホテルに帰って風呂に入り、すぐさま寝ました。

 

 このホテルの宿泊代は1万2千円なのですが、Go toTravelキャンペーンで4千円割引があり、おまけに別に2千円分の買い物券がいただけましたので、ホテル代は実質6千円になりました。まるでビジネスホテルのような安さです。