田川市石炭・歴史博物館

2020/11/27

 

 このツアーに乗るため別府を出発する一日前まで、この日の昼食を摂る場所が田川市の料亭「あおぎり」であるとは露にも知らなかった。ということは私たちが訪問する「あおぎり」は、遠賀川流域の炭鉱地帯のど真ん中ではないか。事実調べたら、料亭「あおぎり」は炭都繁栄の象徴「銅(あかがね)御殿(ごてん)」で、昭和9年に初代田川市長 林田春次郎氏の迎賓館として造られた別館を含めて国登録有形文化財となっている。

 

 これは面白い、とひとりで悦に入っていた。

 

 

上の図で、直方、飯塚、田川の三都市が主たる炭鉱都市だったのです。現在の副総理兼財務相麻生太郎は先祖が飯塚の麻生太吉だ。麻生太郎の曾祖父にあたるらしい。

これは面白い場所に来たものだ。

 

 

 その料亭「あおぎり」の写真が下で、

 

 

 お庭がこれ。

 

 

 御料理が次。

 

 

 そこで昼御飯はそそくさと済ませ、タクシーを呼んでもらい、田川市石炭・歴史博物館にかけつけた。

 

 

 新しい建物で、実に立派な博物館だ。

 

 前庭には炭坑節発祥の地という記念碑がたっており、巨大な竪坑巻き上げ機が残っており、後方に、巻き上げに使う電力を発電する発電所の排煙煙突が立っている。「あんまり煙突が高いので さぞやお月さん煙たかろう」と炭坑節で歌われるその煙突が眼前に立っているのは勇ましい。

 

 

  竪坑の巻き上げ機。

 

 

 

 私は45年も昔、ドイツのルール地方の近くで働いていて、ルールの石炭研究所に出入りしていたので、石炭にはいろいろの思い入れがあるのです。だからかしらん、懐かしい。

 

 

 博物館の内部資料ですが、操業当時の三井田川鉱業所。

 

 

 麻生太郎の曽祖父の写真もありましたよ。

 

 

 鉱夫の宿舎も再建されています。

 

 

 その内部。鉱夫が晩酌を楽しんでいます。そういえば、昔、御飯は麦わらを編んで作った菰(こも)に入れて保温していたのでしたね。懐かしい。

 

 

 明治時代だと思われるが、坑内風景。女性も働いている。

 

 

 あとで山本作兵衛の作品にでてくる坑内の風呂。「ヤマの浴場」と題する粘土細工

 

 

 こういう沢山の展示物を見て回ると、懐かしさに圧倒される。私たちがまだ子供だった頃、そういえば男は背中に彫り物をして、博打場でなけなしの金を使うことが「男の潔さ」だったのですねえ。それに看て御覧なさい、混浴ですよ。

 

 明治から大正にかけて、爆発的に石炭が売れた時代の世相を実感してもらうためには、山本作兵衛の絵画を鑑賞して頂くのが一番だと思うので、次のコマは山本作兵衛作品集です。

 

動画:日本一の筑豊炭坑を作った悪名高い納屋制度の事実とは?福岡発展を裏で支えたのは、地底で血と汗を流しながら、過酷な労働に耐え抜いた日本人、朝鮮人捕虜たち労働者たちだった。炭坑節に隠された筑豊炭田の歴史 - YouTubeも参考になる。