2022/01/25
明けて25日の日、私は一日の行動計画を取り決めて、ホテル青森の17階の豪華な食堂で朝食を摂った。
ホテル青森は実に立派なホテルだ。お勧めする。ただ青森駅からちょっと離れているのが難点だ。上は17階から眺める津軽海峡冬景色。明らかに陰鬱だ。この陰鬱さがたまらない。北国(きたぐに)に来た、という感じがする。中央遠方に陸奥湾越しに下北半島先端部分。左に津軽半島が見える。
津軽海峡・冬景色 石川さゆり 津軽海峡 . 冬景色 / つがるかいきょう・ふゆげしき - 石川さゆり - YouTube
上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
私もひとり連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ泣いていました
ああ津軽海峡・冬景色
ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす
青函連絡船は1988年に無くなったが、自動車のための津軽海峡フェリーが取って代わっている。
冬景色の見物は一旦やめて、私はホテルでタクシーを呼んでもらい、棟方志功記念館へ行きました。
写真:棟方志功館。右隣はNHK青森放送局。積雪は1mほどでした。
位置関係は」次。
画像:GoogleMap, 2022
開門時間9:30に駆けつけたので、お客はもちろん私一人でした。
この記念館は棟方志功が文化勲章を受章したときに、青森県が設立した県立の美術館であります。
棟方志功記念館のパンフレットは次。
実は昨日東奥日報本社に電話をかけて、大正9年秋の東奥日報の記事を閲覧したいと申し入れたのだが、調査部の担当者いわく、
当社は東奥日報の過去記事の閲覧は一切お断りしております。
お望みであれば、東京の国立国会図書館で閲覧されるようお願いします。
だって。
日本の新聞社で(火事で焼けて過去の新聞が全焼した場合を除いて)、記事の閲覧をこのような高飛車で断る新聞社を初めて経験しました。ついでに東奥日報はこう云ったのです。
本日(1月24日)からコロナ対策で青森県のすべての県営施設は閉鎖されています。棟方記念館も閉鎖されていますから、訪問はできませんよ。
だって。
まるで親の仇(かたき)が青森市に乗り込んできたから、直ちに追い返せ、といわんばかりの権幕でした。
話した相手は調査部女子部員でしたけれど、すぐそばに調査部の責任者が立って、小声で返答文言を指示しているのまで聞こえました。
私はこれを聞いて、がっくりしました。かなりの努力をして高い費用も払い、苦労して別府から青森まで駆けつけてきて、聞くのがこの文言か、と。
東奥日報という新聞社はちょっと頭の構造がおかしいですね。今後東奥日報とは話すことはないでしょう。
こういう経緯があったのですが、後刻、ホテル青森の受付が棟方志功記念館に電話をかけてくれて、25日まで開館しておりますからご安心を、との朗報を頂きました。そういうことで、今朝ここに来れたわけです。それにつけても東奥日報、よほど経営状態が悪化しているのか、心理状態が不安定で、客対応がなっていませんね。くたばれ、東奥日報!!! これが現在の私の心境です。
なお、記念館の展示物はパンフレットに載せられている作品が大部分でした。
私の抱いていた疑問二点については、館員のお嬢さんが後刻、学芸員と話してくださるそうです。私は安心してこの貴重な記念館を去りました。
ついでに、じょんがら節。
津軽じょんがら節はこの人がいいと思う。
はなわ ちえ 独奏です! 「津軽じょんがら節」 - YouTube
画像:はなわちえのホームページから
後記(2022/01/31記)
次の書信を受け取りました。まったく早い反応で恐縮いたしました。この美術館はやることなすこと俊敏で、お相手していて快感を覚えます。私の知りたいことをすべて解説していただきました。深謝。
『広報なみおか』平成10年9月1日号についてはなみおか今・昔 (city.aomori.aomori.jp)を参照せよ。