2023/01/27
2023/01/26(木)
25日の新聞に奈良の富雄丸山古墳の記事が載っていた。
日本で最大サイズの蛇行剣も同時に発掘された。
場所は薬師寺の3km西方。高速道路E92の南。時期は4世紀後半。写真に映るこの人がどうやら橿原考古学研究所の岡林孝作副所長のようだ。筑波大学出身。この研究所は奈良県立研究所なのだが、その実績は国立研究所よりも重い。
この記事を読み、久しぶりの超寒波でひどく寒かったが、自衛隊前から芝居の湯までの2時間散歩をもこなし、午後5時45分に自宅前でタクシーを拾い、6時に、サンフラワー用の新造ターミナルに到着して、この短い旅が始まった。
26日夕方から始まる短い旅だったけれども、天気が悪く、寒くて、とても疲れる旅で、29日に金沢駅で薫さんと別れてから、汽車のなかでも、自宅でもひたすら眠り続け、31日の早朝になってやっとこの日記が書ける程度に元気が回復した。
撮影:2023/01/06 サンフラワー・くれない
この日に乗ったのは三井OSKの新造船サンフラワー・くれないサンフラワー・くれない - dousan-kawahara ページ! (jimdofree.com)で、14日に就航したばかりの新品ぴかぴかの大型船だ。とてつもなく大きい船だから、三井OSKは新しく岸壁ターミナル(上の写真の右端)を別府一の宮線の延長線上に造った。
早速予めパソコンで全国旅行支援スキームで予約した席にチェックインしたが、ひどく安かった。通常\12,500程度の船賃はまずPC予約で10%引きで\11,300となり、全国旅行支援が適用されて、\9,700となり、それに船内で使えるクーポンが\1,000ついてきたから、実質\8,700の船賃となった。これに驚くなかれ、大阪いらっしゃいキャンペーン2022が\5,000ついて、これを現金扱いと考えて差し引くと、なんと船賃はたった\3,700になるのだ。JR新幹線で日中に旅行しても、\18,000はするのに、宿賃込みで、\3,700は圧倒的に安い。「ただ」に近い。
これ、お勧めですね。
広い待合室は空いていた。
相部屋なのだけれど、これはもう俗に言う「カプセル・ホテル」ですね。ちょっと狭いけれど、テレビはついているし、持ち物はすべて廊下に備え付けてある鍵つきロッカー(無料)に放り込んでしまえば、充分リラックスできる空間です。あとは、食事をして、
大きな風呂に入って、寝るだけです。老人にはとてもcomfortableでした。
ただ一つの難点は大阪南港についてからの交通だ。
おおさかメトロの案内図の一部だが、これを見るだけでもややこしい。
トレードセンター前から1区間だけ南港ポートタウン線(ニュートラム)に乗り、終点のコスモスクエアで地下鉄中央線に乗り換え、3駅目弁天町でJR大阪環状線に乗り換え、4駅目でやっと大阪駅に到着する。上の地図で赤鉛筆で印したルートを正確にたどる必要がある。気が狂いそうになる。私はスイカを使って、スイスイときたが、これでいちいち切符を買っていたら、発狂するだろう。
大阪駅で、特快という電車に乗った。これに乗ると、大阪京都間で停車するのは高槻一駅だけという快速な電車だった。この電車は8両編成で、前の4両が湖西線で敦賀行き、後ろの4両は米原行きという混成電車で、切り離しは京都で行うのだそうだ。こういうことが一一面白くてたまらない。
ここまでは順調に来たのだが、京都駅でJR奈良線に乗るべきところを、間違えて近鉄線に乗ってしまった。私が地理を知り尽くしていたら、またスイカなど持たず、切符をいちいち買っていたら、このような間違いはしなかっただろう。私は近鉄丹波橋まで乗って、京阪電車に乗り替え、4駅分引き返し、やっと伏見稲荷駅に到着した。
私は昭和34年に一年間、京阪電車の三条-黄檗を乗り続けた実績があるのに、このあたりの地理には全く音痴なのだ。
伏見稲荷は生憎の霙(みぞれ)で、私はJR稲荷駅の横のセブンイレブンでビニール傘を買った。
JR 稲荷駅。霙が降っていて惨め。
伏見稲荷神社はJR稲荷駅から稲荷山に向かって、真っすぐ東方向に参道が伸びている。
表参道を通り、鳥居を潜り、楼門を抜け、本殿に到着したが、この時はもう周囲は参拝客だらけで、外人観光客が非常に多かった。本殿横の社務所で祈祷申込書に書き込み、初穂料を支払い、すぐさま本殿の中に通され、御祈祷が始まるのに時間は長くかからなかった。
私は美智子の病気平癒をこれでもかこれでもかと祈った。
きっと私の祈りは神様に通じていることだろう。
はじめの構想ではこの後、千本鳥居、奥社参拝所、熊鷹社を経て、標高233mの稲荷山一の峰まで登る予定であったが、天気が著しく悪く、それにも関わらず、参拝客の数が多すぎて、一の峰までの登山は中止した。
動画
バスガイドぶらり旅 vol.111 京都 伏見稲荷 参道〜奥社奉拝所(前編) - YouTube
バスガイドぶらり旅 vol.112 京都 伏見稲荷 お山めぐり〜一ノ峰(中編) - YouTube
が教えてくれるように、一の峰までは参拝客で一杯で、写真を撮ることもままならぬ状態らしいので、今日の天気も考慮して稲荷山頂上までの山登りは中止したのです。
伏見稲荷大社伏見稲荷大社 (inari.jp)
そして、稲荷信仰の原点が、稲荷山であります。
当社の御祭神である稲荷大神様がこのお山に御鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日のこと。その日から数えて、平成23年(2011)に御鎮座1300年を迎えました。
伊奈利社創祀前史|沿革|伏見稲荷大社とは|伏見稲荷大社 (inari.jp)
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こうして太秦の秦氏族は、記録の上では大宝元年(701)桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮、深草の秦氏族は、和銅4年(711)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして、御神威赫々たる大神があたかも鼎立する結果となったのです。
「秦公、賀茂建角身命二十四世賀茂県主、久治良ノ末子和銅4年2月壬午、稲荷明神鎮座ノ時禰宜トナル、天平神護元年(西暦765年)8月8日卒」
当時の皇后・藤原定子[長保2年(西暦1000年)崩御]のそば近く仕え、才媛の誉れ高かった清少納言は、有名な『枕草子』の中で、初午詣をした時のことを次のように記しています。
「2月午の日の暁に、稲荷の社に詣で、中ノ社のあたりにさしかかるともう苦しくて、なんとか上ノ社までお参りしたいものだと念じながら登っていくと、もはや巳の時(午前10時頃)ばかりになり、暑くさえ感じられるようになってきて、涙をこぼしたいほどわびしい思いをしつつ休息していると、40余りになる普段着の婦人が、“私は今日7度参りをするつもりです。もう3回巡りましたからあと4回くらいは何でもありませんよ”と、往き会った知人らしい人に告げてさっさと行くのをながめては、誠にうらやましく思ったものである」
また、平家の勢いが頂上にさしかかろうとする平治元年(1159)12月10日、平清盛が熊野参詣の途中、京からの早馬が追いつき、前日に三条殿へ夜討があり御所が焼亡した、これはおそらくは平家を討とうとするたくらみに相違ない、という知らせが届いたので、清盛は急ぎ京へと引き返します。このような火急の際でもやはり「先づ稲荷の社にまいり、各々杉の枝を折って、鎧の袖にさして六波羅へぞつきにける」と、「保元の乱」に続く「平治の乱」の幕開けの模様が『平治物語』(古活字本)に記されています。
おいなりさんというと、だれもが反射的に思い浮かべるのは狐でしょう。我が国の神社では、たとえば伊勢神宮の鶏、春日大社の鹿、日吉大社の猿、八幡宮の鳩というふうに、それぞれ固有の動物が神の使いとして尊ばれています。しかし、お稲荷さんの狐は、単なる神使ではなく、眷属といって神様の一族のような資格を与えられており、そのため狐は稲荷神そのものだという誤解も一部の人にもたれています。
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私はそれから、駅の近くの郵便局でお札等を宅配便で美智子様あてに送付して、京阪電車で中書島へ行き、伏見見物をしました。