2022/06/06
画像:GoogleMap,2022
この寺院をもっとも有名にしているのは、上の銅板法華説相図(国宝)である。
Wikipediaによれば、
本銅板の図様は上・中・下段に分かれ、上段には多数の押出仏を貼付して十方諸仏(千体仏)をあらわし、その左右には三尊像が、中段の左右には七尊像が鋳出されている。中段の中央から上段の中心までは三層の宝塔が鋳出されており、その下層には釈迦如来・多宝如来の二仏並座の様子が、中層には多宝如来が、上層には舎利容器が、先端部には3本の相輪がそれぞれ表現されている。下段の向かって左側の金剛力士(仁王)像は鋳出によるものであるが、向かって右側の仁王像は欠損しており、木造の後補となっている。これら左右の力士像に挟まれた区画に浚い彫りの銘文がある。
銅板の周縁部は升目状に区画され、上段と中段の周縁部の升目の中には一体ずつ小仏(48体)が鋳出されている。その小仏は、上辺が坐像(22体)で、左辺・右辺は立像(13体ずつ)である。下段の周縁部の升目の中には一体ずつ奏楽天人が線彫りされている。
作成されたのは686年か、あるいは698年かどちらかであろうと推定されている。すなわち飛鳥時代の天武天皇、あるいは文武天皇の御世(飛鳥時代年表 - 日本史資料室 (gontawan.com))で、聖徳太子の時代から約半世紀後に作成されたものらしい。
この銅板法華説相図(国宝)が長谷寺の唯一の宝なのであるが、残念ながら、この国宝は現在奈良国立博物館に寄託されており、長谷寺にはない。
創建時期も、この銅板法華説相図が三重塔の中に秘匿されていたことから、飛鳥時代後期と想定されておかしくない。
現在の長谷寺を有名にしているのは、4月後半に咲く牡丹の花である。
私が訪問したのは4月3日であったから、牡丹には早すぎた。代わりに桜がこの寺を美しく彩っていた。
階段の奥に見えているのが、仁王門である。
画像:長谷寺パンフレットから
仁王門からの眺め
坂の途中、両側に牡丹の木が多数開花を待っている。
登廊の上半分、これを登りきると、
これで本堂に出た。
現在の本尊像は天文7年(1538年)の再興。
右手には数珠とともに、地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持つ。
本堂 - 慶安3年(1650年)に徳川家光により再建。国宝
本道前、広縁から本堂を顧みる。
当時の私。とても太っていた。
弘法大師御影堂から本堂広縁を振り返る。あたかも花に包まれた長谷寺というところか。長谷寺はやはり「花」が主題なのだと感じさせてくれる。
それからまた、源氏物語の玉鬘(たまかずら)。平安時代中期、玉鬘は片道4日かけて京都から観音霊場である長谷寺まで歩いてきた。
玉鬘は乳母に連れられて九州へ流れる。そこで美しく成長し、土着の豪族大夫監の熱心な求愛を受けるが、これを拒んで都へ上京。長谷寺参詣の途上で偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会、その紹介で源氏の邸宅・六条院に養女として引き取られる事となった。(引用:玉鬘 (源氏物語) - 玉鬘 (源氏物語)の概要 )
玉鬘については皆様方、ご随意にお読みいただくこととして、以上にて長谷寺は終了。
では皆さま、御機嫌よう。