明日香村9 橿原神宮

2022/06/19

 実際の訪問は2006/04/04です。

 

 

東京住まいの方にとっては、神社といえば明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする明治神宮 - Wikipediaなのだが、明治神宮の神域の規模(約22万坪)に対し、橿原神宮は(約16万坪)で、面積的には明治神宮のほうが大きい。が、周辺の神武天皇陵、他の天皇陵を合わせれば、同じ程度にはなるかもしれない。

 

 

また、橿原神宮には歴史がある。この神宮は初代天皇である神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀っている。また、神武天皇の東征については、日本最古の歴史書である古事記と日本書紀に精細な記述がある。だから史書の記録という歴史的観点からいえば、橿原神宮は格がはるかに上だ。心して参拝しなければならない。

 

 

 古事記の記述の冒頭は次である。

 

写真:橿原神宮参道

 

 神武天皇が東征されたルートは次である。

 

 

 神武天皇の東征中、天照大神のご加護が顕著に認められたのは次の二か所であるらしい。

 

 

八咫烏の道案内と勝利

東征がはかばかしくないことを憂えた天照大御神は武甕槌神と相談して、霊剣(布都御魂)を熊野の住民の高倉下に授け、高倉下はこの剣を磐余彦に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。だが、山路険絶にして苦難を極めた。そこで、天照大御神は八咫烏を送り教導となした。八咫烏に案内されて、莵田の地に入った。

 

 

引用:神武天皇(神倭伊波礼比古命)

 

 

 金色の鵄

 

 

   金色の鵄

12月、長髄彦と遂に決戦となった。連戦するが勝てず、天が曇り、雹が降ってきた。そこへ鵄(とび)があらわれ、磐余彦の弓の先にとまった。すると電撃のごとき金色の煌きが発し、長髄彦の軍は混乱し、そこへ磐余彦の軍が攻めかかった。饒速日命は長髄彦を殺して降伏した。

 

引用:神武天皇(神倭伊波礼比古命)

 

 

 

 こういう物騒な歴史を曳きづっているのだが、この土地で神武天皇が初代天皇として即位されたのが神武天皇元年11日で、現在の暦に引き直して、211日。戦前は「紀元節」と呼ばれた祝日だったのだが、戦後も「建国記念の日」という名前の祝日となっている。そういうわけで、明治神宮よりもはるかに権威と威厳のある神社なのだ。

 

画像:GoogleMap.2022。 地図上方に神武天皇陵が見える。

 

 

 では皆さま、御機嫌よう。