2003/10/28
中国で山の風景を愉しむならば、黄山か桂林かあるいは武夷山だといわれている。
2003/10/28から二日間、中国福建省の武夷山を旅行した。私が63歳のときのことだ。出発地は福建省の莆田市(福州と泉州との中間)で、28日朝、泉州空港から武夷山空港まで中型の飛行機に乗った。なぜ莆田市から出発したかという話は込み入っているから、別の機会に話すこととして、私は一人旅行で、中国語はまったく話せず、泉州も武夷山も田舎で、日本語や英語も話す人は皆無だったから、甚だ心細い旅行となった。
泉州空港
武夷山空港
武夷山荘はその当時武夷山一の高級ホテルであったが、到着してみたら予約は入っておらず、もたもたした。中国語を知らないと、こういう局面だとまごまごして大変な屈辱感を味わう。
だがホテルの立地は高山を背後にした広大な敷地で高級ホテルであることは歴然としていた。
Googleから取り出した武夷山の地図は次である。関連個所を書き入れてある。
画像:Google 2021, 修正済。
まず水帘洞(すいれんどう)を訪ねた。
ここは凹面の巨大な岸壁で、雨季(7月~9月)には頂上から滝が落ちる。今日は雨季がすぎていたので、滝の水は枯れていた。
岸壁下に見える建物は三賢祠(南宋時代の賢人屏山他二名を祭る祠)なのですが、私たちには聞きなれない人物なので、見過します。
水帘洞を見終わったらもう昼食時間なので、武夷山の街に戻りました。
私は武夷山荘にお願いして二日間のガイドを雇ったのですが、やってきたのは美人の女性ガイドでした。下の写真で、右側がそのガイドです。左はその女性ガイドの友達で、このレストランの女将です。このガイドは美人だけれども、日本語も英語も話せないので、往生しました。
昼食はこのレストランで摂りました。
さらにガイドが私を案内したのは、お茶屋。
左下に見える茶缶に武夷岩茶と書いてあります。武夷山に来たら、武夷岩茶は飲んで帰らないといけないというのです。中国でも有名な烏龍茶なのです。私はお茶マニアではありませんから味の違いは分かりませんが、高価だけれど、とても美味しいのだそうです。ガイドには期待外れだったと思いますが、お茶は買いませんでした。
皇龍袍訪問後、ガイドは私を九曲渓の筏乗り場に連れてきてくれました。
来てみてびっくり。浅瀬に多数の筏が繋がれて、客待ちをしています。
御覧のように、一隻は二つの筏を合体させたもので、六人乗りです。チケット売り場でチケットを購入するのですが、私のように一人の客は相席とならざるを得ません。だから、切符売り場で、ガイドのお嬢さんが私の席を確保するために大奮闘をしてくれました。
筏は太い竹を焼いて曲げて組み合わせたもので、浅瀬の石ころの上を滑らすには竹の筏のほうが適しているのでしょう。私の筏の船頭さんは女性でした。
いや正確に言うと、どうも筏の船頭は二人いて、前で方向を調整する「舵取り」が女性で、筏後方で長い竹で川底の石を押す推進役は男性となっているようです。
筏下りの終点がここです。
二日目
昨日筏から見上げた天遊峰を登る。下から見上げると、垂直の絶壁の稜線に、山を登る人たちの列が見える。この絶壁を登るのかという絶望感がよぎる。
登山道の取付きの部分の岸壁の麓に小さい茶畑がある。ここで作られるのが岩茶と称せられる最高級の烏龍茶。巨岩にさえぎられて日差しが届かないが、それこそ高級茶栽培の秘訣らしい。宇治でも抹茶の栽培には黒い網をかけて育てますからね。
岩肌に何とも言えず「幽玄」な趣があり、高級茶のイメージを作ってくれている。
天遊峰の絶壁から見下ろすとこんな具合。足を踏み外せば即死だろう。下に見えるのは九曲渓。朝早いから筏は一隻しか見えない。
ほとんど頂上に達した。もうくたくた。
足が弱くて登れない人は、下山道を篭に乗って逆方向で登山する。
山を下りて、九曲渓に近づき、ホッとする。
筏に乗っていたときは感じなかったが、上から見下ろすとまるで桃源郷を行く筏だね。
川には魚が群れ泳いでいる。
さて、天遊峰を離れて、車で移動する。ここは場所が離れていて「一綫天」というところだ。
狭い巨岩の間をすり抜けて、
出口に抜けると、風洞と大書したフォトジェニックな場所に出る。ガイドのお嬢さんが写真を撮ってくれる。
こうして武夷山を見終えたわけだが、こうしてカメラに捉えられた私は、シャツもズボンも粗末で、貧民の観光旅行という感じだなあ。もっと服装に金を使うべきだった、という感じ。
一方、私が当地で受けた印象は、「何か知らん、あたり一帯が小便臭い。周りは、会話不能の邪魔な人ばかり。武夷山に来たことは来たけれど、ほとんどなにがなんだか分からなかった、という残念的な見方で、本音を言えば、「サウナに入って汗とともに掻き出したい憂鬱感がどっさり残った」というところ。
では皆さま、御機嫌よう。