2024/01/03
元旦は能登半島で酷い地震があり、気にかかるので、金沢市に住む妹に昨日夕方電話を架けてみた。
その妹が泣くのである。余震が来ていてどうしたらよいか分からない。近くの店には食べ物がなくなってしまって、不安でたまらない。どうしたらよいのか分からない、というのである。ほらまだ揺れている。
彼女の立ち位置というのはこうである。
引退したいけれども、周囲が引退を認めてくれず、承前の仕事の継続を求めていることもあり、もう力尽き果てているのに、加えてこの地震だ。もう死んでしまいたい。
と絶望的なコメントが続けて彼女の口から洩れてくる。
近くのコンビニへいっても食料はすべて売り切れになっており、何を食べたらよいのか分からぬし、助けを呼ぶ相手もいない。
地震の余波は金沢にも達していた。
画像:出処不明
この画像は出処不明である。金沢城石垣崩落で画像をチェックしていたら、どこからかこの画像が出て来た。
金沢に通暁している人ならば、ここはどこかすぐ分かる。ここは金沢城大手門の石垣である。石垣の一部が崩れている。
私はパニックに陥っている彼女にいくつか提案した。
1. 逃げ場所
世の中にどこか安全な逃げ場所があると思うな。今住んでいるパルテノン(という名前の)マンションの一室に閉じこもれ。パルテノンがそのあたりではもっとも堅固な建物だ。誰がこんな堅牢な建物を建てたのか知らないが、パルテノンそのものが最も安全な避難所だ。
2. 食べ物
あなたの家は味噌屋である。味噌がなくなることは決してない。味噌はもっとも栄養価の高い食べ物だから、味噌をなめて飯を食え。他の何がなくなっても、米と味噌だけで人間は生きていける。
(注:こう申すのもなんだが、彼女の長男は石川県で一番大きい味噌屋の社長だ。)
味噌は舐めても良い。水を加えて暖めれば味噌汁になる。贅沢を言わなければ、味噌と米だけで一週間は我慢できる。一週間もすれば誰か助けに来てくれるさ。心配はない。それもこれもご先祖様が味噌屋の基礎を築いてくれたからだ。先祖様にお礼を申し上げておこう。
このように彼女には言ったのだが、考えてみれば、一週間米の飯と味噌汁だけというのはあまりにもひどい。そこで、Amazonから和風総菜詰め合わせ20袋を妹宛に送らせたが、到着が1月12~15日とのことだった。やはりどうしても一週間は味噌ご飯で我慢してほしい、ということになる。
(注:Amazonからの荷物は実際には7日に届いた。老人にはやはりなんといっても、和風総菜が一番だ。)
金沢の様子はこうだ。
上の地図の赤丸の地点から矢印の方角に向かって撮った写真である。
ちなみに、地震前の状態はこうであった。
画像:GoogleMap,2024
上の写真が示すように、地震は金沢城の石垣を壊すかもしれないが、味噌屋を壊すことは絶対にない。
大丈夫だ。
このように繰り返し話したら、彼女のパニックはようやく収まってきた。
上の写真で見るように、地震で壊れたという金沢城の石垣は壊れ方が小さい小さい。
2019年に発生した熊本地震 (2019年) - Wikipediaと比較せよ。熊本地震のときの石垣の崩れようはこうだ。
熊本城馬具櫓
熊本城西出丸長塀
城を築くことには名声があったという加藤清正が築いた熊本城にしてからがこの崩れようだ。地震の強さは7だった。
こうやって一時間も彼女と話し続けたら、やっと彼女のパニックはおさまってきた。やれやれ。
ところがところが、である。2日午後6時頃になって、地震の影響が東京に及び、羽田空港で日航機が事故を起こしてしまった。
新千歳から飛来してきた日航機が、能登半島地震で必要となる救援物資を積んだ海上保安庁の機体と衝突事故を起こしてしまったのだ。
なんという不運の連続。この羽田での日航機事故がテレビ画面を独占し、能登半島地震を霞ませてしまった。羽田の炎上する日航機からなんと379名もの乗客・乗組員が無事脱出できた。これは“奇跡的”。
羽田空港事故 “交信記録の詳細” “18分の避難”機内の状況 乗客の証言は 日本航空JALと海保機が衝突 | NHK | 羽田空港事故
羽田空港で日本航空機が炎上、海保機と衝突 乗客乗員379人全員脱出と - BBCニュース
注:羽田事故でもっとも印象的な動画:18分間“緊迫の脱出劇” 羽田JAL機炎上…海外メディア「全員生き残ったのは奇跡」【もっと知りたい!】【グッド!モーニング】(2024年1月4日) (youtube.com)
一体全体、2024年の正月はどうなっているのか。
それだけでは済まなかった。能登半島の先端の珠洲市には地震の後現象としての津波まで起きてしまったのだ。道路が寸断されてしまったので、事故の詳細も詳しく伝わってこない。
能登半島の人たちは家を潰され、家財道具は津波で流され、道路は隆起して不通になり、電気、水のインフラが壊され、食料もなく、これ地獄だね。
被害を被った方々への支援の方法は義援金送付がベストということだ。少額でもよいから支援をしておこう。令和6年(2024年)能登半島地震に係る災害義援金の受付について | 石川県 (ishikawa.lg.jp)