2024/07/26
正覚とはなにか?
いまから17年前に私が訪れたパキスタンのラホール博物館の展示物を使って、ご説明いたしましょう。
撮影:2007/09/15 Lahore and Taxila (lcv.ne.jp)
凛々しいお姿ですね。ガンダーラ技法で描かれたお釈迦 - Wikipedia様のお姿です。
ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀に存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。(ガンダーラ - Wikipedia)
アレキサンダー大王が紀元前327年にこの地を通過したため、ギリシャ文化がこの地に移植されました。参考:アレクサンドロス3世 - Wikipedia だから、釈迦の絵姿は西洋人の顔立ちをしているのです。
インドの人たちはお釈迦様の姿を映すというのは大変に不敬と考えていましたから、お釈迦様を実像ではなく、模様で表現することにしていたのです。ですから、ガンダーラ地方が初めてお釈迦様を上のように人間の実像に近い画像で表現することとなりました。そういうわけで、上の画像がお釈迦様のお生まれになってからのもっとも近しい画像であるということが出来ます。
画像:保存されている場所はラホール博物館
私は2007/09/15に現地を訪ねましたので、お釈迦様の生涯を、ラホール博物館のなかに展示されている展示品から見て行きましょう。
画像:釈迦の母親マヤ王妃は寝床で一匹の白象を夢見ました。その白象は天から下ってきて、王妃の体内に入った。カピラ城 - Wikipediaでの出来事です。
仏陀の誕生
王妃マヤは臨月となり、実家へ帰る途中、ルンビニ庭園に立ち寄られたのだが、その時、王妃は妹パルジャーパティに支えられ、木の枝に手を掛けて立ち、その袖の下からお釈迦様がお生まれになった。
シッダールタは王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し(四門出遊)、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家した。ラーフラが産まれて間もない頃、深夜にシッダールタは馬に乗り、カピラ城 - Wikipediaを抜け出した。(Wikipedia: 釈迦 - Wikipedia)
そして(ブッダガヤ―の近くの)ウルヴェーラー(ヒンディー語版)の林へ入った。父のシュッドーダナは、シッダールタの警護も兼ねて五人の沙門(のちの五比丘 - Wikipedia)を同行させた。その後6年の間に様々な苦行を行った。断食修行でわずかな水と豆類などで何日も過ごした。断食修行によりシッダールダの心身は消耗し、骨と皮のみのやせ細った肉体となっていた。
撮影:2007/09/15