2023/07/29
バスは前川渡から急な坂道を登り、民宿村を通り、乗鞍温泉の中心である観光センターまでやってきた。
画像:2008/10/16撮影。乗鞍中央高原
ここも私の昔の思い出がいっぱい詰まった場所である。
観光センターの角を右に曲がれば白骨温泉に行き、そこまで行かなくてもここに白濁湯の乗鞍高原温泉の湯けむり館がある。私が通っていたころの湯けむり館は観光センターと林道安曇奈川線を跨いだ対面にあったのだが、この湯けむり館はその後、乗鞍岳線の南側に引っ越ししたらしい。湯けむり館旧館には何度も入らせていただいた。硫黄泉好きのわたしにはとても有難い存在だった。
せせらぎの湯
上の図のなかに書いてあるように、この近くにはせせらぎの湯という「入浴無料」の白濁泉もある。
まことにちっぽけな温泉だが、無料だから文句は言えない。それに、何時行っても誰も入浴客がいないから、孤独の湯浴みが楽しめる。非常に楽しかった。私はどちらかというと「一人ぽっちが好きなのだ。」というわけで、私の趣味からいえば、せせらぎの湯のほうが湯けむり館よりも楽しかった。
では、乗鞍高原温泉の源泉はどこにあるのだろう。
画像:国土地理院地図
乗鞍高原温泉については乗鞍高原温泉(長野県) をお読みいただきたいが、湯川上流で、標高差500mから引き湯しているというのだから、私が国土地理院地図に赤矢印を付けた地点の♨マークからの引き湯に違いない。湯川というのは白骨温泉を通る川であるから、乗鞍高原温泉は白骨温泉と同じ硫黄岳由来の温泉に違いない。道理で、白骨温泉と同じ白濁温泉だ。
源泉から観光センターまで少なくとも7kmはあるだろう。途中で尾根を越えて、白骨温泉とは反対側に落としているのだろう。(赤点線は筆者の想定経路です。)
画像:GoogleMap, 2023
画像:GoogleMap,2023
白骨温泉 湯元齋藤旅館は老舗の旅館だが、この露天風呂にもなんどか入浴させてもらった。私は硫黄泉が好きで、いろいろの硫黄泉に入浴した。
ニセコ 五色温泉
画像:撮影 2008/09/18。川原毛大湯滝 高さ15mはあろうか。
温泉が滝となって流れ落ちる。
蔵王温泉 大露天風呂 蔵王温泉と赤湯 (lcv.ne.jp)
新野地温泉 相模屋旅館
那須湯本温泉 鹿の湯 那須湯本 (lcv.ne.jp)
日光湯元温泉 日光山温泉寺 日光湯元 (lcv.ne.jp)
画像:撮影 2003/06/23。温泉寺の小さな浴槽から硫黄泉が溢れ出る。
画像:2008/01/22。
等々に入らせてもらった。自動車を持っていた時代に走り回って入浴させてもらったのが良かった。車を捨てた今となっては、記憶に生きる以外に術がない。私の家の温泉浴槽に湯の華を大量にぶち込んでみたらどうか、とも思うが、買い溜めていた湯の華は何年か前に友達に差し上げてしまって今はもうない。
これらの硫黄泉を巡り回った私を、今の私はこよなく慈しみたい。
私はその当時、日本の哲学界が明治44年以降、性懲りもなく、(岩波書店からの十全なるバックアップを得て、)西田幾多郎崇拝を狂信的に維持していた世相に、たった一人で反旗を翻したのだ。『人間の心に生じる特異点』(2000)『日本の哲学』と『いくつかのBの例』(2009)という二冊の本をこの時期に無謀にも自費出版した。が、今読み返せば、西田幾多郎の原作『善の研究』に引きずられている傾向があり、ふんぎりのつかないもどかしさが残っている。
私はこれらの本を私の出身校である金沢大学教育学部付属高等学校に図書館に寄贈したが、これらの本は学校に到着するなり、あっさりとゴミ箱に捨てられた。多分文部省からの指示がそうさせたのであろう。
このような恥辱と無視のなかで私は働き続けた。私の心は絶望と恥辱で泥まみれになっていた。これらを癒してくれたのは、ひとえに、硫黄の香が漂う硫黄泉であった。硫黄泉に浸かるかぎり、私は束の間、世間からの嘲笑を忘れることができたのだ。
だから、乗鞍高原温泉においても、前述の「せせらぎの湯」が私の心の友達となってくれた。有難いから決して忘れられない温泉だ。
画像:2011/10/15 別所温泉 https://youtu.be/bo28WdqHNHM
そういえば、その頃硫黄泉のほかに、私の心を癒してくれることがもう一つあった。たった一人の孫だ。なんと無邪気な子だろう。それに可愛い。
だが、こういう幸福な時は一瞬で過ぎ、私はまた働き続けた。哲学だ。