2024_10_20
今朝もいつも通り朝の散歩に出た。
ところが今朝はいつもと様子が違った。昨日北方に在った寒冷前線が南に下がり、北の寒気が日本を覆い、温度は一挙に2℃に下がり、冷たい北風が吹く寒さとなった。
私はあわてて薄いウインドブレーカーを脱ぎ捨て、ダウンパーカに着替えて出発することとなった。
たった一晩で散歩道の様相は様変わりだった。散歩道は枯葉でカバーされてしまって、寒気が雰囲気を支配している。一挙に紅葉が色付きを深め、秋がもうすぐ終わる気配さえみせるようになった。
あれよあれよという様変わりだ。
道端に停めてあるバイクさえ、秋色にそまっている。
私は最近、散歩に出て歩いている最中にいつもこう考えるのだ。
私はなんという幸福の中に住んでいるのだろう。
これ以上の幸福が感じられたことはこれまでにない。
いままではなにかしら常に不足感を感じていたものだが、今という今は、欲しいものが何一つない有様だ。
家庭にも恵まれ、孫もいる。ほしいものはすべて手に入れた。なにか他に欲しいものはあるか? ない。
この観音菩薩が示すように、私は「満ち足りている」。あの世界からのお迎えを待つばかりの状態なのだが、欲しいものは何もないから。生きながらにして極楽往生だ。
どうしてこのような幸福過剰状態に陥ったのか理由が分からない。
思い起こされるのは、大谷廟所藤蔭幼稚園、女子師範付属幼稚園、同小学校、金沢大学付属中学校、同高校、関西文理学園(京都の大学受験塾)、京都大学、同大学院、ここを卒業してからの社会生活、具体的に言えば、住友商事という商事会社などなど、すべての経歴において私はとてもとても恵まれていた。思い起こせば、どの場所もわたしには完璧に幸福だった。恵まれていたというか、つきについていた。どの場所も楽しかった。素晴らしい幸運が私についていた。素晴らしい成績を上げた。だから、私は私の思う通り行動することが出来た。他人の指示を受けることが一つもなかった。だから、会社内での出世は今一つだったのだが、わたしはそれらの全てを非常な幸福感と達成感をもって勤め上げた。
近頃散歩の途中でメロディーが私の口から出るようになった。
どんぐりころころ
mu-tech.co.jp/midi/traditional/vocal/donguri_korokoro_xf.mp3
道端にはドングリが転がっている。そのドングリとは関係なく、ドングリの唱歌が私の口からこぼれてくる。
なにしろ幼稚園で覚えた唱歌だから、歌詞のすべてがくちから出てくるわけではない。が、不思議に自然と口からでてくる懐かしい歌なのだ。これも私の幸福感を増加させてくれる、と感じている。
家に帰って、居間のソファに座る。緑一杯の景色が目に入る。鹿も通る。そしてここでも懐かしのメロディーが出てくる。
たき火
紅葉
mu-tech.co.jp/midi/traditional/vocal/maple_xf.mp3
まるで私が幼稚園児に戻ったような気がする。無邪気で悪げが全くない。偏にひとに好かれる幼稚園児に帰った気持ちがする。有難いことだ。
私は実に格好よくやってのけた。
大学時代は成績はTOP状態だったし。
会社に入ってからは他人が思いもつかないような仕組みを考え出して莫大な利益を上げた。
公認会計士試験勉強をして、会計の仕組みを学習し、日本の化学工業界では初めて企業計算の自動計算法を案出し、事業計画の遂行を容易・簡易化した。
退職後は、私は化学技術屋であるにかかわらず、「哲学」に注力し、哲学書を5冊も上梓した。
こういうわけで、私は会社の義務は200%達成したばかりか、退職後も自分の哲学を完成させてしまった。私は私の本を法律が命じる通り、2部づつ国立国会図書館におさめたから、私を知りたい人は国立国会図書館に行って、河原道三で検索すればそれで内容を知ることが出来る。
哲学というのは、分かる人もいるし、分からない人もたくさんいる。哲学というのはそういうものなのだ。だから、分かる人同士で楽しむのが哲学なのだ。
娘には言ってある。私の跡を辿りたい人は国立国会図書館に行けばよい。墓を作ってそこに骨を埋めて貰っても、生前の私とは知り合えない。だから、お墓など私には必要ない。国立国会図書館が私の墓場になるように仕組んである。
墓を作って骨を埋めるよりは、山の上で散骨していただければそれで充分だ。墓などというものは金がかかり過ぎる。墓はなくて良い。骨はパッと散らせばそれでよい。
蓼科から眺めた宝剣岳、木曽駒ヶ岳、将棊頭山(しょうぎかしらやま)