目撃者証言
この爆発を経験した目撃者ジェイムズ・ディーン氏の供述を引用する。
Statement of JAMES DEANS of 8 Pheasant Close, Scunthorpe
引用元:
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私は硫酸塩プラントのオペレーターであり、過去三年間ニプロで働いています。
硫酸塩プラントは全体として工場の西側にあり発煙硫酸プラントとは別の場所ですが、この二つのプラントは同じコントロール・ルームを使っています。
事故の当日は、私は午後3時から午後11時のシフトで働いていました。私たちはそのシフトを輪番制で働いていましたが、各シフトの人員は同じでした。私はいつもの仲間たちと一緒に居て、その午後の時間帯ではいつもの仕事を行っていました。確かに、私は何事も異常なことには気がついていませんでした。
午後3:30頃、私はプラントからサンプルを採集して、分析室へ持っていき、いつものように分析を行いました。
4時ころ、私はプラントの周りで表示示度の読み取りに出かけ、その後、発煙硫酸コントロール・ルームに戻りました。いつもの通り、私たちは二時間おきに示度を読み取っていましたから、私の次の仕事は午後6時ころ、私の分担のプラントを歩き回り、機器をモニターすることでした。
発煙硫酸プラントのコントロール・ルームは一階にあります。この部分のスイッチ装置はコントルーム・ルームの上にあったので、私はそこに4:15分頃から4:50分頃までそこにいました。そのとき、私は大きな風船が破裂したときのような音を聞きました。建物は振動はしませんでしたが、コントロール・ルームにいた人たちのほとんど全員が北側のドアから逃げ出しました。私が覚えていることは、そのドアから逃げ出すときに自分の安全帽とゴム製の長手袋をつかんでいたことです。私たち四人が逃げ出し、プロセス・コントロール技術者一人をコントロール・ルームに残したのだと思います。
私たちは急いで逃げ出したのですが、なにかわるいことが起こったのだと気が付いていました。
シフトに当たっていたプロセス・コントロール・技術者であったハリー・ナットラスが後に私に話してくれたことですが、彼はコントロール・ルームの南側のドアから外を見ようとしていた。
北側ドアから外に出た私たちはコントロール・ルームの外側に沿って南方向へと向かいました。建物の南角を曲がったとき、私たちは東方向で、硫酸塩倉庫の上を眺めました。その倉庫は鉄筋コンクリートの壁で高さ10乃至12フィートでできており、壁の上に屋根構造が出来上がりつつあった。基本的に屋根は木製構造であり、建物の作業は継続中だったので、私たちは部分的に破壊された建物の南部分の天井半分を透かし見ることができた。私たちが見たものは第一地域と第二地域の方角からの「熱靄」と称するものだった。初めは炎はなかったのだが、文字通りの一秒か二秒のうちに炎が空中に25地区の上に噴出した。
私たちに見えたのは、高い反応器の天辺だけであったが、その区画の残りは見えなかった。炎の高さは約70ないし80フィートであったろう。炎には青色がたくさん見えたので、同時に煙があったのだと私は思った。炎は熱靄の背後から噴き出しているように見えた。だがこれは私の心にはまったく判然としなかった。
一瞬か二瞬の間、私たちはその炎を見続けていたが、そのとき、大きな爆発が起こり、私は西方向に15ないし20ヤード吹き飛ばされた。正直に言って、どのような動きも記憶にない。だが、ある一瞬、私は立って炎を見ており、そして次の瞬間、私は発煙硫酸コントロール・ルームの西地点で南北方向に走る道路の反対側に倒れていた。私が耳にした元々の音響と大爆発との間には騒音はなかったように私は思う。だが、その間に経過した時間はほぼ30秒であったと推定している。しかしながら、疑いもなく私は二回目の爆発が生じた以前に炎を見た。もっとも二回目の爆発は炎の目撃とほぼ同時であった。
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The fires as seen from the south-west - Official report, TS 84/37/1
南西部から見た火災 - 正式報告、TS 84/37/1
道路の反対側に吹き飛ばされてのち、少し回復したあと、私は立ち上がり、黄鉄鉱倉庫と新しい酸プラントの間を西側方向、トレント川の堤防に向かって走った。私が覚えているのは、ビル・ロッジがプラントから走ってくるのを見、また三、四人のボイラー・マンを見たことだ。川の堤防から私は病院に連れて行かれた。その日の出来事について思い出せることはこれ以外にほとんどない。
私が工場で経験した困難なもう一つの経験は水素プラントの火災であった。この出来事を除いては、過去三年間にプラントで被った特別な困難はほかになにもない。
JAMES DEANS
ジェイムズ・ディーン