2017/08/29
画像:2011/10/27撮影 フリーア博物館、ワシントン
菩薩像、鎌倉時代、13世紀初期
快慶(1185-1220頃)作
木製、漆、金、銅ならびに水晶
Charles Lang Freerによる寄贈
博物館館内説明:
この彫刻の空洞のなかの署名跡が最近研究され、確証されたところによれば、これは快慶(1180-1220年頃)の作品である。この棟梁彫刻士の革新性は鎌倉時代(1185-1333)の彫刻様式の開花時期の中央に位置している。この様式の特異性は現実的でしかも感覚的な造形である。ガラス或いは水晶岩石による嵌め込みが新しく使用され、それ以降、目の現実性を強調するための一般的な方法となった。
12世紀の衰えていく時代、日本は市民戦争によって激震を受けた。市民戦争は本質的に宮廷を退け、将軍達によって支配される一連の軍事政府の長い抗争の最初となった。多くの仏教寺院と修道院が荒らされて人命、建築物、ならびにそこに保存されていた宗教芸術が失われた。政治的な安定性が回復したとき、快慶のような職人たちは新しい彫刻を制作するために多くの注文を受けることとなった。
筆者注釈:
飾られている作品が超一流品であるだけに、この博物館館内説明はなんともお粗末で、品格がない。
紀元前500年頃、35歳の釈迦は、ガヤー地区のほとりを流れるリラジャン川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜の布施を受け、気力の回復を図って、インドボダイジュの木の下で、「今、悟りを得られなければ生きてこの座をたたない」という固い決意で瞑想した。すると、釈迦の心を乱そうとマーラが現れ、この妨害が丸1日続いたが、釈迦はついにこれを退け(降魔)、悟りを開いた(正覚)。(引用) ゴータマ・ブッダが成道したときに座っていたのが金剛宝座であり、座っておられた姿が上の菩薩像にみられる結跏趺坐である。
仏教徒はこの菩薩像を見せられただけで、仏陀のブッダガヤの正覚のときを厳粛に思い起こすのである。 その後、菩薩像も半跏趺坐像(例えば白馬寺の菩薩坐像)と結跏趺坐像の二つに分かれたが、基本は坐って瞑想することにある。坐って瞑想するのは仏教の基本なのである。この精神に触れないのは、「形作って魂入れず」の典型である。
画像:菩薩坐像、ボストン美術館、2009/03/16撮影 部分修正。
菩薩坐像(半跏趺坐)
中国、東魏王朝、紀元530年頃
河南省洛陽近辺の白馬寺出土
石灰石
尚、人間の精神的経験の多様性、ならびに人間精神の構造論については「神秘体験」を参照して下さい。